英語のワイヤ (wire) というのは、金属の細長い糸や棒ですから、スプリング、釘、 ネジ、ボルト、鎖、ワイヤロープ、ケーブル、鳥かご、自転車のスポーク、金網、 ジッパー、囲い、買い物かご、ステープル、チーズ切りといった無数の品物を含ん でいます。用途が多い割に狭い業界ですから、業界の専門誌も少なく、アメリカ、 ドイツ、イギリスにひとつしかありません。 これらの雑誌は、上記のすべての分野を含んでいます。 つまり、電線というのは、ワイヤ産業のごく一部ということになります。
ワイヤの歴史は極めて古いもので、人類がその歴史をはじめて記録に残したとき、 すでに存在していました。初期のワイヤは金属の小さな塊をやわらかくなるまで熱し ておいて、ハンマーで細長く叩き伸ばす方法で作られたのです。必要な細さになるま で何度も熱しては叩くのですから、極めて高価なもので、ごく一部の裕福な人々だけ が使えるだけでした。
現代のワイヤは非常に硬い金属やダイヤモンドに孔をあけたダイス (die) で線引きする方法で作りますが、この方法は紀元前5世紀のペルシャですでに使われ ていたと信じられています。ただ、ヨーロッパで使われるようになったのは、10 世紀になってからで、初めの頃はワイヤを大きな釘抜きではさみ、人手でダイスから 引き抜いていました。そして、その後、水車や1組の牛がその労働を引き継ぐことに なります。複数の牛を大きなレバーにつなぎ、そのレバーがワイヤの端を取り付けた 柱につながっています。そして、牛たちが円を描いて歩きまわると、柱がぐるぐる回 って、ワイヤがダイスから引き抜かれるという仕組みです。この牛の労働は、電動機 に引き継がれて現代に至りました。
ワイヤは、鉄、銅、アルミニウム、金、銀、タングステン、ステンレス鋼や青銅とい った各種の合金など、いろいろな材料から作ることができますが、電線の場合は、銅 がほとんどで、希にアルミニウムや銅合金、ステンレス鋼、鉄といった素材が使われ ます。
いくつかのダイスを通して引き抜かれたワイヤは、硬く、脆くなります。これはワイ ヤを細くする過程で金属の結晶構造が歪むためで、加工硬化と呼ばれる現 象です。引っ張りに対する強さ、つまり抗張力はこのほうが大きくなりま すから、単に引っ張る力が働くだけのときは好都合ですが、曲げる力が働く場合は、 すぐに断線してしまいますので、ワイヤを炉の中で加熱して除冷することで金属結晶 をもとの状態に戻し、再び加工できるようにします。この工程はアニーリング (annealing) と呼ばれています。この処理を行った銅線が軟銅線、 多数のダイスから引き抜かれたままの硬い銅線が硬銅線です。電線の場合 は、用途によってこの両方が使われますが、希にこの途中の状態 (half annealed) で使われることもあります。
多くのワイヤは柔軟性が必要とされますが、中にはピアノ線のように硬いほうがよい ということもあって、この場合は、テンパリング (tempering) という別の タイプの熱処理が行われる場合もあります。また、スチール・ワイヤでは、ダイスで 引き抜く前に、材料の表面の錆を酸で溶かす作業が必要です。
ワイヤの断面形状はほとんどの場合円形ですが、中には三角、板状、四角、半円形、 V字形といったものもあって、これらは特殊な形をしたダイスで線引きすることで 作ります。機械式の時計のギヤなどは、青銅のワイヤをギヤの形に伸線し、それを 切断機で薄く切り落とす方法で作っています。
電線 (electric wire) はワイヤの原料である金属が電気をとおす、つまり、 電子が流れるという性質を利用したもので、この金属部分を導体 (conductor) と呼んでいます。ただ、高エネルギの電気は感電の危険がありますし、 導体同士が接触して短絡 (short circuit) 事故を起こすと困りますから、 裸線のままで使われることは希で、普通は、絶縁物で被覆します。この被覆は 絶縁体 (insulation) と呼ばれています。昔は絶縁体の材料として、紙や 繊維やゴム等が使われましたが、現在では、もっと特性の良いプラスチック材料が 主流になりました。また、電気的な絶縁だけでなく、機械的な保護が必要になること も多く、その場合は、電線全体をさらにプラスチックや金属で覆うことがあり、これ をジャケット (jacket) とか装甲 (armor) と呼んでいます。ジャケットは 普通プラスチックやゴムの被覆ですが、装甲のほうは、金属パイプや金網が使われま す。
絶縁体は単に直流的に電気の流れ道を遮断するだけで、電気のエネルギそのものは、 周波数が高くなると、絶縁体の中でも通ってしまいますから、導体を他の回路や空間 から電磁的に遮断するためには、シールドと呼ばれる機構を必要とするこ とがあります。シールドというのは、導体を囲む導体で、その囲んだほうの導体をア ースすることで、ノイズ源になる電流を導体以外の経路にバイパスしたり、波動イン ピーダンスと呼ばれる材料の特性の違いを利用して、電磁波を反射させることで、 電磁波を遮断する機能を果たします。
ところで、ひとつ注意していただきたいことがあります。先ほど、導体の中を電子が 流れるとお話ししましたが、電気のエネルギそのものは、電子が運ぶだけでなく、電 磁波の形でも伝わりますから、絶縁体も電気エネルギを使えることができて、例えば、 同軸ケーブルで高周波の電気信号を伝送する場合は、電気エネルギのほとん どが電磁波の形で内部導体と外部導体の間にある絶縁体の中を流れます。このような 場合は、絶縁体が電気の絶縁という機能を果たしているわけではありません から、誘電体と呼ばれることがあります。
以上の導体、絶縁体(誘電体)、シールド、ジャ ケットが電線の基本的な要素ですが、これらの要素を組み合わせるときに生ま れる空隙を埋めるためのフィラー (filler) や、より合わせ工程途中のよ りの崩れを防ぐだめのバインダ (binder) といったものもあって、これら の組み合わせから、無数の構造が生まれます。
複数のワイヤを組み合わせた複雑な構造をケーブルと呼びますが、両者の 境界はあいまいで、人によって呼び方が違う場合もあります。概して1芯の電線が ワイヤ、他心の電線がケーブルといった感覚で使われているようです。そう神経質 になることはないでしょう。
ワイヤのサイズは、単線の場合は直径、より線の場合は断面積で表すことが多いので すが、ダイスで線引きするという独特の工程が原因で、AWG等の番手表示を 使うことがあります。AWGというのは American Wire Gauge の略で、番号 が増えるに従って、断面積が一定の割合、ほぽ6番増えると面積が半分といった割合 で減ってゆきます。つまり、番号が増えるほど細くなります。この理由は、ダイスに よる線引きの物理的性格にあって、ダイスというのは、過度な引き落としをすると、 引き抜き力がワイヤの抗張力を上回って断線しますし、過小の引き落としはコスト的 に無駄です。結局、断線しないぎりぎりの引き落としを狙うわけですが、引き抜き力 そのものはダイスを通過したときのワイヤの断面積の比、つまり断面減少率 で決まるため、一つのダイスを通過する度に、一定の面積が減ってゆきます。
こうして、ひとつダイスを通過する度に1番づつ線番が増えてゆくようなサイズの表 示には大きな合理性があって、AWGのようなサイズ・システムが生まれまし た。