1962 年夏、大学学部生時代の倉持健蔵君が混成合唱団仲間を長野県茅野市の麦草峠に 位置する山小屋麦草ヒュッテに連れて行く計画をたてました。
当時はメルヘン街道(国道 299 号)が出来ていませんから、 小海線松原湖駅からバスで稲子湯に行き、そこから歩いたと思います。
麦草峠に至る道は、なだらかな山容に苔の多い神秘的原生林が広がりますが、 高湿度の原生林を抜けて、白駒池(標高2,100 m以上にある湖としては、 日本最大の湖) を経由して、麦草ヒュッテに到着します。
このときの彼のアイデアの一つが、 彼自身の作詞による麦草峠の唄を創って、 現地で合唱団の参加メンバーが歌うというもので、作曲と混成合唱符の作成が、 私の担当ということになりました。
私自身は山に登ったこともないし、麦草峠も知りませんから、彼が書いた詩から 現地のイメージを考え、頭に浮かんだメロディーの断片をもとに、 倉持君が詞を書き換えるという作業を行い、最後に、 音域に無理がない混成合唱用編曲をまとめました。
最初の写真が、そのときの1枚で、中央の麦藁帽子が倉持健蔵君です。その右で腕組 しているのが私、一番左が柳平英孝君で、私と共に倉持君の晩年まで、 交遊が続きました。
柳平英孝君は KDD 研究所勤務時代からフルートの練習を続けていて、 引退後は 日本アマチュア演奏家協会 会員としてフルート・篠笛奏者として活動しています。

合唱団のメンバーは当時の日本大学理工学部(御茶ノ水の学生街の一角)の学生で、 男声は工学部、女声が薬学部です。元気な女性が多く、 始めての山登りで疲れた私の荷物の一部を持ってくれた人も居ました。
御茶ノ水は神保町の書店街が近いので、何かと便利ですが、 私の人生で最も助けになった、スミルノフの「高等数学教程」(共立出版)全 12 巻を 書泉で購入したときは、同情してくれて、 かなりの値引きをしてくれました。 「再販売価格維持制度」で守られた「本」を値引きしてもらったのは、 これまでの人生で、この一度だけです。
2枚目の写真には、女声メンバの一部が加わっています。上左が倉持君、 下左が山上君、下右が私で、両方合わせると、ほぼ混成合唱ができる人数になりますが、 実際には、これらの写真には含まれないメンバーもいます。
3枚目の写真は、麦草ヒュッテ脇でこの唄を歌っていたときの一枚で、右端が倉持君、 その左隣が私と、 同行していた(後に私の妻となる合唱団のメンバーとは無関係な)女性です。
この歌は、あくまでも、自分たちの楽しみとして、何度か歌っただけで、 誰かに聞かせようとしていたたわけでは、ありません。
当時の麦草ヒュッテは、かなり野性的な山小屋で、
今の麦草ヒュッテ
には当時の面影はありません。
倉持君は大学卒業後、本州製紙に入社して、北海道で日本最大の製紙工場(釧路)に勤務。 半年後、東芝に転じて、日本では最初になる GE (General Electric Company) のミニコン (Minicomputer) によるプロセス制御の 自動化チームに加わりました。
引退後は東京都東久留米市滝山の自宅で母親を看取った後、2014 年に自宅を売却、 長野県茅野市湖東の居室から北八ケ岳を見渡せる畑付きの古い農家を購入。そこに、 Petrofのグランドピアノ、 冬の暖房に薪ストーブを使い、キッチン、PC (コンピューター)、テレビ、 ステレオ再生装置を備えた「はなれ(離れ)」を建増しして、晩年を過ごしました。
Petrof はスヴャトスラフ・リヒテルが「世界四大ピアノの一つ」と書いていた チェコのピアノメーカーです。
離れの薪ストーブは、かなり強力で、使用時の相対湿度の低下対策では、 スチーム式加湿器を使っていました。
壁に掛かっていたセザンヌの静物絵の複製は、彼の東芝時代の仲間からの「お祝い」 だったようです。
現役時代に取得した技術士資格を活かしたアルバイトも多少はしていたようですが、 北八ケ岳を中心とした山歩きや冬のスキー、近くの散策、自分の畑でのちょっとした 農作業が中心で、時には、自宅に小型の CAM (Computer-Aided Manufacturing) 機器 を入れて遊んでいたこともありました。
倉持君本人は、「いよいよ自活できなくなったら、
介護施設を使う」と言っていたのですが、
後述のように(多分、運良く)湖東の家が(本人の言う)終の住いになったようです。
当時の私の住居は、倉持君の最後の住いと自動車で 50 分程度の距離なので、 湖東時代の倉持君とはよく行き来がありました。
私自身は学業を終えた後、家庭の事情で、長年、夫婦で、 長野県塩尻市の電線工場を経営していたのですが、 2014 年に経営を後継者に引き継いで、2015 年末に東京都世田谷区の生家に戻りました。 この引き継ぎは私の大失敗の一つですが、 その内容については、別の機会に記録を残そうと思います。
ここで、私がこのコンテンツを書いた理由がわかるように、私が東京に戻った後、 2018 年夏に届いた倉持君の「暑中見舞」(ハガキ)の内容を転記しておこうと思います。
------------------------------------------------ 暑中お見舞申し上げます。 先日、ある会(新老人の会)に出席したところ、小生と ほぼ同じころから麦草ヒュッテに通っていたという人 (女性)に会いました。 その当時、小屋で会った記憶はないのですが、誰かが麦 草会を作ったという噂は聞いことがあります。 今でも麦草会というのが続いていて、毎年9月の最終 土曜日にヒュッテに集まるそうです。 人数は数名になっているそうですが、最後に麦草の歌を 歌っているそうです。その時、歌の作者として私の名前 が出るそうで、彼女は私の名前を覚えていました。 楽譜を置いてきたわけでもないのに、誰があの歌を覚え ていたのか不思議な気がします。歌詞は手ぬぐいになっ て売っていたので覚えている人がいてもおかしくないで すが、曲は、新しい小屋ができた時のパーティーで、我 々が一度歌っただけですので、メロディーが正確に歌わ れているのか疑わしいです。そこで、楽譜と混成四部を ピアノの音で再生した CD を作って持っていきました。 今年は、9月最終土曜日に開催される麦草会に参加して みようと思います。 「新老人の会」というのは聖路加病院の日野原先生が提 唱した会で、老い先短い人が、残りの人生を楽しく過ご そうではないかという会のようで、全国に広がっている ようです。 倉持健蔵 ------------------------------------------------
倉持君が麦草ヒュッテに届けた楽譜は手書きのコピーだと思いますので、 これを受取った時点で、ちゃんとした楽譜を作っておこうと思ったのですが、 なかなか時間が取れず、2026 年になって、ようやくMusescore 版の 楽譜を作成して、2026.05.02 に倉持君の湖東の家に郵送したのですが、 彼の携帯電話や電子メイルも使えなくなっていて、届いたかどうかも分りません。
柳平君は「一時的すれ違いだろう」と言うのですが、心配になって、 2026.05.15 に再度書き留め郵便で送ってみたところ、 今度は転送先が設定されていて、 3 日後に長男の方から「2025.12 に他界した」旨の連絡が入りました。
倉持君自身も、自分の車で東京の私の自宅を尋ねる計画をたてていたのですが、 自分の白内症手術などがあって、結局 2015 年末に湖東で会ったのが最後になりました。
最後に、オリジナルの楽譜と MIDI データ、YAMAHA PSR-740 で生成した音声ファイル を付けておきます。
MIDI 生成音声 再生
麦草の歌の楽譜 (混成 4 部合唱, PDF)
MIDI データ ダウンロード
mugikusa.au (1.6MB) 音声ダウンロード
mugikusa.wav (17MB) 16 bit, 44.1kHz WAV データダウンロード
mugikusa.mp3 (1.6MB) 音声ダウンロード
mugikusa.mscz (30kB) Musescore 3.2.3 のデータ
平林 浩一, 2026.05.18, 2026.08.10